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滝野川界隈のむかし・いま・みらい

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江戸のうちとそと

滝野川・染井・駒込・中里・西が原・上中里・巣鴨・田端村

Staff-Oh
 1818年以前の江戸は、行政機構のそれぞれの役割に応じて範囲が決まっており、次のようにいわゆる江戸の範囲は複雑に入り組んでいた。

1. 町奉行が支配の対象とする江戸
  • 江戸の町人地に限定。町人地の発展とともに、外延へ拡大。
2.寺社勧化場として許可された江戸
  • 勧化場…寺社建立等のため寄付を募ることを許可された地域。
    1より広い範囲。
3.江戸払の御構場所とされる江戸
  • 御構場所…追放刑者が立ち入ってはいけない地域。
    四宿(千住・板橋・品川・内藤新宿)以内と本所・深川。
4.札懸場(芝口)が対象範囲とする江戸
  • 札懸場…その対象範囲における変死者や迷子の年齢・衣服の特徴等を
    高札によって掲示した場所。1より広い範囲。
5.旗本・御家人が外出を届ける際の江戸
  • 江戸御曲輪内から四里以内。

「江戸の範囲〜天下の大江戸、八百八町というけれど」(東京公文書館HP)
 1818年(文政元)年8月に、幕府は江戸の範囲の統一見解をだした。下図の川沿いのグレーの線が朱引。黒い線が黒引。朱引内を江戸府内の範囲とした。この範囲は、2.寺社方勧化場と4.の札懸場とほぼ一致させた。黒引は1.町奉行支配場である。



朱引き図
江戸朱引図の部分拡大(豊島区史・通史編より)

王子村が朱引きの外、滝野川村、西ヶ原村、上中里村、中里村、駒込村、染井村、巣鴨村、田端村の村々は朱引内であり、うち駒込村、染井村、巣鴨村は黒引き内にあった。この図で田端村が日暮里村を挟んで表記されているのはどうしたことか?


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