滝野川探検隊ホーム  気になる所探検隊  嗚呼!谷田川よ、ヤタガワよ

2005/8/20更新

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緊急報告、谷田川はその昔は、石神井川だったのだ 
谷田川探検隊のはじまりはじまり
このページは川の流れにそ〜オてーいます   一番下流のページに行く 
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 谷田川はどこにあるの どこからどこに流れていたのかを知りたいのですが
A クリキン 
 今日、本屋で立ち読みしていたら 「谷田川は、染井御薬園から出て、不忍池にそそぐ」とありました。
 御薬園・・・何て読むのだらう。ドコに在ったのだらう。
 ま、ご報告まででした。

 ところで 谷田川 は別名 愛染川 とも言いますね。不忍池の手前に 愛染町 ってのが在るか在ったかしたそーです。
A タータン
 「アイゾメガワ」はきっと「藍染川」だと思います。
 谷中を通って不忍池へ・・・ 今は(もちろん)暗渠になっており、そこが道路で、お店がいろいろあり、谷中・根津・千駄木(いわゆる「谷根千」)の観光スポットのひとつです。
A  ブルームーン
 藍染町ってあったのです。私は その藍染町の生まれです。

 谷田橋通り(谷田川)をどんどん行き谷中の夜店通りをとうり抜けて蛇道に入ります。(くねくねと曲がりくねった細い道はまるで蛇の様です)
 蛇道が終わりに近ずいたあたりが藍染町です。
 藍染町から片町に入り宮永町を抜けると上野七軒町です。  もう不忍池もすぐ近くです。

 その昔 流れる来る川で藍を染める紺屋さんが有ったのが由来とか。
今でも 確か一軒染物屋さんが残っていると思います。

 素晴らしい町名が多かったですね。
A  トシクン
 六義園のところから分かれる通り(染井通り)の突き当たりが染井墓地です。

 墓地を直進して突き当りの左手のやや落ち込んだところ(青果市場の横手にあたる)に長池という池があったそうな。
 そこが水源と言われています。現地に立て札もあります。

 もう一つの水源は、旧外語大のグラウンドです。
 外大の裏手のがけで落ち込んでいる所にあたりその昔池があったそうな。ということが、外大の前の坂道の説明版に書いてありました。
 御薬園は「尾張屋版江戸きり絵図染井巣鴨王子辺図」に現在の墓地から青果市場のあたりです。
 絵図には、「御薬園−渋江長庵御預地所」とあり、寛政年間に藤堂家の抱え地を御薬園に改めたそうです。
 確かに、川は尾張屋版の切絵図では御薬園からでていました。
A
クリキン
スッゴいですねっ!  すっかり煽られちゃいました。

 で、唐突に思い出したのですが、数年前に母校滝小にいらしたシルバーご来賓さんから(お名前を忘れた!!)聞いた話。

 (私は、お年寄りが来ると色々聞いてしまうクセがあります・笑) 当時、谷田川は 「川」 でありまして、現在の山手線のガードをくぐる辺りに、段差があり、そこから暗渠の中にドドーッと流れ落ちていたそうです。 

田端神社に谷田橋の遺構があるのだ
         byデジタン

 ・・・と言うことは、霜降り橋の交差点には、まだ橋があったというワケですよね。 (いや、部分的に暗渠になっていたのかしらん?)橋は、いつごろまで存在していたのかしらん。・・また眠れなくなってしまう・・??

 ミコさま
 愛染め町の町名は、不忍通りをブラブラと歩いていた途中のどこかに書いてありました。←三歩あるくと忘れるアタシ。
 あの辺りの路地には、ちょいと粋な蕎麦屋とか三軒長屋などあって素敵なところですね。昔は、確かに素敵な町名がありましたよね。
 三ノ輪の親分 とか 人形町の佐七親分 とか、なかなかに味わいのある文化であります。
 それにしても 愛染町 とは素敵すぎるぅー!!
A クリキン
 私、谷田川の暗渠の上の道を、週に2度はチャリで走ってます。
 クネクネのヘビ道を抜けて、次の信号までは、川の上を走っている確信があります。

 アカジ坂の手前で、暗渠を開けて工事しているのを見ましたから。
 しかし、その先の信号の先から判らなくなるのです。
 どうも 区画整理 ってヤツらしいですね。
 川ですので、一番低いところであるのは確かなのですが・・・。  もう少しで不忍池なのに。

 ところで、アカジ坂(漢字が判らない)ですが、昔、坂の上にアカジさんていう御大尽がいまして、銀行を創ったそうです。
 その名も アカジ銀行!! 「赤字銀行」だったら大爆笑。
 アカジ坂の下は、谷田川をこえ、不忍通りまで広い商店街です。
 なかなかに風情のある通りです。
 そこも 門前町(!) としてアカジさんが創ったそうです。  昔の御大尽は、することがスゴい。
 銀行は、昭和の大恐慌で、取り付け騒ぎの中に沈没。 商店街は、兵の夢の跡か・・・。

 ところで、その商店街の長屋に 貸本屋 さんがあったのです。
 3年ほど前まで営業しておりまして、利用者はカードを作るのです。
 作っておけばよかったなぁー、貸本カード。
 アメックスのゴールドカードよりも価値があるなぁ〜、私には。
 現在でも張ってある 張り紙 には、近い内に、本を整理する為の売り出しをする、とあります。
 ものすごく期待しているのですが、未だにその気配がありません。
 ご老体であったご主人の健康が心配です。

 その先に、芋甚(いもじん) なる甘味処があります。
 こちらは数年前に改装しちゃいました。
 以前は ミルクホール の風情かあったのに、すっかりこ洒落た原宿の サテン になってしまいました。
 (ジャズなんか流してんじゃねーよ!)とても哀しい 嗚呼勘違い であります。

 アカジ坂から谷田川の上をさらに進み、信号を渡る。
 右側に、なんとか県のお役人の東京宿泊所。
 立派な日本建築で素敵ですよ。(県民にはムダな税金だけど)その角の細い路地を右に。
 「関東風いなり寿司」 なる小さな小さなお店があります。
 この 「関東風」 ってコトロがいつも気になっていたので、先日、意を決して(ってホドかな?)入ってみました。
 今風でいう テイクアウト のお店。
 町にジャストフィットな親父さんがにぎってます。
 で、オイナリさんを買う。
 で、ウチに帰って食べる。
 ・・・なるほど、関東風ってのはこーゆーのかぁー。
 あたしゃ関東人だけど、初めて知った。
 え? お味はって?
 ご興味のある方はお試しあれかし。
 ちょいとデカいですよ。
U 上に戻る
A シオノジ
 先日、車の中で、谷田川のそんな話をしたのですが
 同乗した、某先生の後輩が土建屋さんで、何年か前、暗渠にもぐったとのことでした。

 中に入ったら、猫ぐらいの大きさのねずみが沢山いて、皆いっせいに前足を上げて襲う格好をしたそうです。
 恐ろしいし、噛まれたら大変だと、急いで逃げ上がったとの事でした。
 今度、地べたの下の地図などをコピーしてもらう予定です。
A トシクン
 またまた、谷田川の話です。
 タイル舗装されている染井銀座を歩いているとわざわざタイルを切ってラインを引いてあるのにお気づきでしょうか?
 その線は二本あり、間隔は1間(1.82m)くらいで蛇行しています。
 ひょっとしたら谷田川の流れていた形跡かもしれないと考えています。

 その理由は、見掛けは道路になっていても、道路は、自治体の財産で暗渠の水路とかは国有財産である(あった)ので、財産上の区分けの線かなと想像しています
A クリキン
 さっきお仕事で行った先でのコトだす。
 仕事ついでに、あれこれ古い話を取材(?)していたら明治11年 内務省発行の地図を見せてもらい・・・

1)初めて知るこの事実! 驚愕の新説!
  谷田川の終点は不忍池ではなかった!!

  谷田川は藍染川と名前を変えた後、不忍池をかすめて  グルリとまわり(現在の不忍通りか?)上野広小路へ。
  広小路を横切るとき、上に架かっているのが三つ橋。
  確かに絵図で見た記憶があります。

  なんで三つ橋なの?
  上野寛永寺に行くときにね、中央が将軍様専用。
  脇の一つが武士専用。
  もう一つがその他用・・だそーで。
  今でも 三ツ橋 なる甘味処があるそーな。

  で、川は流れて御徒町へ。
  もう、川と言うより、掘り割りと言ったほうが良い程に  カッチと企画され、直角に曲がる川となっております。
  この辺りで川の名前は変わるのですが、名前は不明。

  で、流れ流れて竹町へ。
  今でも竹町公園とかあります。
  んで、向柳原町を抜けます。
  その、ちょいと先、須賀町と浅草文庫の間から墨田川に注いでおりました。
  両国橋と厩橋の間ですね。

  この浅草文庫ってところは、ほれ、浮世絵とかにもある
  隅田川沿いの倉庫街。米倉がならんでいるところ。
  その対岸が 蔵前 ってくらいのモンですから。
  須賀町&浅草文庫って、今の浅草橋駅あたりかと。
A クリキン 訂正です
  その、ちょいと先、須賀町と浅草文庫の間から墨田川に注いでおりました。
  両国橋と厩橋の間ですね。

  
  現在の地図で見ますと、蔵前橋の辺りですね。  我らが谷田川が、隅田川に注いでいる所は。
 蔵前橋って、明治11年には無かったみたい。
 上記の記載・・・両国橋と厩橋の間ですね。・・・ってのは明治11年の地図でのことでありまする。

 この浅草文庫ってところは、ほれ、浮世絵とかにもある
 隅田川沿いの倉庫街。米倉がならんでいるところ。
 その対岸が 蔵前 ってくらいのモンですから。

 
 対岸ではありませんでした。蔵前は。
 注ぎ口の場所は、蔵前そのものでありました。
 現在の蔵前1丁目と2丁目の境あたりが川です。
 川を暗渠にし、上を拡張したのが蔵前通りかな??

 ってコトは、蔵前橋の下を見ると、もしかしたら、谷田川の出口が口を開けているかもしれまへんね。
A
6/18 クリキン
谷田川は今、だうなっているのだらう・・・ってなノリで実踏してみました。
でも、比較的見当がつきやすい霜降橋から不忍池あたりまでですが・・・。

暗渠入り口の画像ですが、実際の谷田川はあんなに川幅はなかったハズです。 

暗渠入り口ほか拡大写真へ
A 6/20 ホシタバ
谷田川の事ですが、私の家の横を流れていました。
田端銀座の交叉点を右に曲がって?と写真に書いてありましたが、曲がらずに、先のケーキやさんの所を左折して私の家に横を過ぎ下田端郵便局の前辺りに出ていました。
家の辺りでは(はや川〕と言っていたそうです。
A 6/22 クリキン
どっせーっ! そんな流れだったのですか!
「右に曲がる」の根拠は、「田端文士村の女性達」(だったかな?)にある地図に 「谷田川跡」なる記載がありまして、それは、田端銀座交差点あたりから右折して、早々と不忍通りにでるモノでした。
しかし、その「跡」なる道は、上り坂なので、どうもアヤシイとは思っておりました。 真相をありがとうございます。

「はや川」 とは これまた 新しい真相 ですね。感謝であります

はや川へ寄り道してきます
A 6/23クリキン  今日はね、「よみせ通り」入り口までです。 赤紙仁王さんに寄り道
A 6/24クリキン  今回は よみせ通り之巻 です。 夜店通りと谷中銀座
A 6/25クリキン  今回は、よみせ通りの出口にある交差点からヘビ道までです。 ヘビ道て知ってました?
A まいど。
今回は へび道を出て、通称(って自分だけの)あかぢ坂交差点まで です。
この あかぢ ってゆー文字ですが 音 だけで知っているだけでして、本当は、どー書くのか知らないんです。

新撰組の駐屯所?
A ネットで見つけました シオノジ
「あかぢ坂」という、ちょっと変わった名前の坂がある。漢字だと「明治坂」坂の上に「ヂエモン」の屋敷があった。明治の大財閥、渡辺家の屋敷だ。初代が明石屋治右衛門と言ったので略して「明治(あかぢ)」と言うわけだ。明治の土地長者は岩崎家、三井家、峯島家(尾張銀行経営)、阿部家(旧福山藩主)と続くが渡辺家は堂々五番目であの安田財閥の安田善次郎より上位である。明治10年、九代目が銀行を設立した。渡辺銀行である。この渡辺銀行が昭和初期の金融恐慌で倒産した。根津や千駄木、谷中では損害を被った人が続出した。人は皮肉って「赤字坂」という。
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/park/slope.html より
A 6/28 クリキン
今回は あかぢ坂交差点を後にして、次の交差点までとちょいとより道です。
寄り道です
 A 6/29 クリキン
もうすぐ不忍池ですよ〜

しかし、この辺りでの川筋が読めない。
いま思ったんだけど、関東風いなり寿司の親爺さんにこの辺りでのルートを聞けばよかった。
きっと知っているハズ。
どなたか機会があったら聞いてくんなましね。

風情のあるお店です
 



7/1 クリキン   不忍池に着きますよぉー!

なおなお、弁財天を 財弁天 と誤記している箇所が1つあります。
これは、私の教養の限界を表しておりまして申し訳ございません。
「教養、いつから無いの?」  「今日よぉ〜」(2回目)
・・・もう申しませんのでご勘弁くださいまし。
ずうぅの入り口です
 A 7/2 クリキン
やっと、上野広小路までたどりつきました。  「お疲れさまです」

なお 「三ツ橋」 など、正確な資料から出した名前でないものもありますので、「まあ、クリキン言うことだしぃ」程度のこととお受け止めくださいましまし。
もうすぐ終点です
 A 7/1 エガミ
最後の三つ橋についてですが、私の持っている本では三橋(みはし)で書かれています。
江戸の末期の図では、谷田川が黒門町のところで、今の広小路の通りを交差するように流れ、
真ん中に大き目の橋、左右に小さめの橋が二つ描かれ、それで三橋になっていたようです。
 A 7/2 クリキン   おまけ

霜降り橋から上野まで、テクテク歩いても1時間ちょっと。
あちらこちら寄り道しながら半日がかり。
この寄り道も 楽しい旅 の重要な要素ですね。
すこしだけ、より道画像を・・・。
7/16 クリキン

谷田川もそろそろネタ切れか???
いやいや、ホシタバさん提供の「真相・その2」があるのですよ。
しかし、まだイマイチ判らない部分がありまして・・。

ま、今回はこんなモンで。
六龍鉱泉は黒いお湯なのかなぁ。  どなたかご存知ですか?
上野動物園手前、谷田川筋から森鴎外の旧居の鴎外旅館方面へ2分。
蕎麦屋の角の路地を入ってスグです。

いつか、谷田川ツアーでもしましょうか。 Takitanさん計画してくださいまし。

霜降り橋スタート。
テクテクと谷田川の上を歩きますね。

後半は、ここで鉱泉に入って、風呂上がりのソバ&冷酒をたしなみまして、
最後は広小路のみはしであんみつ食べて上野から電車で帰るとかね。

霜降り橋から上流編探査は、どなたかお願いします。

私、ほとんど把握していないので。

シオノジ
六龍鉱泉も評判がよいのですが、遠い! という方には
滝野川6-27-14 にある「稲荷湯」はいかがでしょう。
もちろん壁には一面に富士山の絵が描かれ、熱い方の湯船は
50度!脱衣場からは金魚のいる池、ロッカーの上にはマイ風呂桶
がズラリと並んでいます。 これで、明かりが暗くてセピア色なら
小津安二郎の映画にエキストラとして入っているような世界。
いつもすいてて(失礼)親父さんたちが言葉を交わしています。
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7/24  エガミ
ところで、Kurikinさんの谷田川の話ですが
誰かに教えて頂いたのか忘れてしまったのですが、パソコンのウェブを整理していましたら、面白いものを見つけました。

谷根千について対談しているものですが、中に谷田川の話が紹介されています。古い話、古い写真風情があります。
クリックしてみてください。
http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_15/no15_e03.html

谷根千の口上は次のように述べられています。
地域雑誌「谷中・根津・千駄木」(通称・谷根千=やねせん)は1984年10月に創刊されました。
東京の東に位置する台東区谷中・池之端・上野桜木、文京区根津・千駄木・弥生・向丘・本駒込、荒川区西日暮里、北区田端のあたりを生活の場とし、暮らす町で見つけたもの、大切にしたいものを紹介し、調査記録し、次代に手渡す手だてとしての雑誌づくりをしています。
http://www.yanesen.net/
7/25  クリキン

エガミ様 クリックしてみてください。
http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_15/no15_e03.html

おお! まだ沈まずや定遠は〜 の姉妹艦である 鎮遠 ではあーりませんか!(この写真(右)は不忍の池、日清戦争の時の清の軍艦「鎮遠(ちんえん)」の錨(いかり)と巨弾10個が置いてある。)

・・・いや、それに感心したワけではなく、なるほど、行政の区界が川であったと

いうのは、大きなポイントですね。

不忍池の手前当たりの川筋が、イマイチ読めないので、地図を見ながら

検討しなおしてみます。



7/25  キリキン

さて、霜降橋から上流の谷田川ですが、今日霜降りの商店街周辺をウロウロいたしまして確信しました。
谷田川は、霜降交差点から商店街にのぼっていきます。
だって、あすこが一番低いですから。

では、何処から左折(?)して谷中の墓地方向に曲がるのでせう。
今日の程度のウロウロでは判明しませんでした。

ほな。     なにかと粘着気質なクリ 拝

あっ! 写真撮るの忘れた! デジカメ持ってたのにぃ。
7/29  エガミ
昨日7月28日に読売新聞朝刊、地域特集、地名探訪に根津藍染町が掲載されていました。

谷田川、藍染川、と丁子屋染物店の四代目村田庄司さんが紹介されています。

今でも残っている藍染の名称は商店街、藍染大通りと区立藍染保育園、そして愛染町会だそうです。

読売の読者の方はご覧ください。
結構長い文章で紹介されています。
とてもすぐにはキーボードに打ち込めません。
7/29  キリキン

ホシタバ氏ー 、こんなのでどーでしょうか?

皆さん、御説、推測、想像、なんでもお寄せください。
写真4枚の拡大
9/13 まだまだ クリキン

現在、不忍池では下水工事をしております。
谷田川の「不忍池以遠」のネタが無いかと見てきました。
鉄の板が工事現場を囲っております。
その板にデカデカと、古地図が印刷されてます。
それを見ますと・・アレレ?谷田川ってば・・???

1)モトネタの一部です。
2)モトネタをイロイロ加工したものです。
以下、谷田川の上流は本郷台地に登っていく記載が。
どーもヘンだなぁ〜、この地図の谷田川ってば。
信頼に足るモノとは思えないのですが、どなたかお教えいただけることがございますればヨロシクお願い申し上げます。
管理人さん、ご希望の古地図アット不忍池を追加します
でも、大変不鮮明でご期待に添えないことゴカンベンであります
写真の拡大
/29 “その先” 見つけました。
なんと、寛永寺の境内に貼ってある古地図です。 惜しむらくは、欲しい情報の半分しか掲示されてないのです。
@ みはし、ちゃんと三本ありますねぇ〜。

写真の拡大
9/29  エガミ
クリキンさん、本当にご苦労様です。徹底的な谷田川の探求・実地調査に敬服します。
話は変わりますが、旧三橋や黒門町界隈で、今で言うと少し路地に入ったところに壷屋という古いJazzバーがあり、先日6-7名の友人といってきました。
どーにも止まらないクリキンであります。
まいど、ウチワ向け画像です。
なぜならば、外部の人に見せるだけの自信がないのです。  クリキンには内緒で載せました

これは、もしかしたら1947年の米陸軍航空隊の航空写真です。
こんな高空からでは、きっとB29ですわね。
確信はキッパリとありません。←エバるかぁ?!
良く見ると、なんと黒く “谷田川” が!
結構蛇行しておりますね。

特に、染井墓地の手前では複雑に曲っております。
また、染井墓地からもっと上流方向にも川らしきモノが見えます。
基本的に農業用水ですから、それはもう繋りがあるのでせう。
このころは、山手線のガードよりももっと下流に暗渠の口があいて
いたようです。
ガードの手前でもガクガクと曲っております。

この写真を元にして、霜降り橋より上流の解明をしてみます。
しかし、道路でたどるのは無理かもね。
こんなに蛇行している道なんか無いもん。  
      うんと大きな航空写真を見てみる
10/26 クリキン  またしても谷田川のお話であります。
アタシの中で、いまいち確信の持てない部分の中に、アカジ坂の先があります。
先日、千駄木の本屋さんにあった広告パンフレット。
(往来堂といーまして、小さい店ですが書店業界では有名なのだそーです)

「三層 江戸 明治 東京 重ね地図」 CDで発売 18、000円ッ!!!!

その広告を見ますと、なんと疑問の箇所がクッキリスッキリ明確に!
やっぱし「芋甚」の若旦那はウソ言っていたんだ・・・地元なのにぃ・・・。
アタシの推測どーり、アナタのお店の前を流れていたんじゃないのぉ。
しかし、若旦那もまんざら大嘘こいていたのじゃないのです。
確かに、藍染屋さんの前も流れていたのです。
すなわち、ここでは谷田川(藍染川)は1本じゃなかったっ!!!!
この箇所では、なんと3本に別れておりますのですなぁ。
どーりで名探偵のアタシでも判らなかったハズだ(って自分でゆーか?!)
そして、その先で、またも1本に集まっているみたいなのです。
その先、もうすぐ不忍池なのですが、そこが広告には書いてない。
霜降り橋の上流の情報もあるのかしらん。知りたいぃぃぃぃっ。
でも、無かったら悲しいなぁ〜。(壱萬八千円でっせダンナ!)
CDじゃ、お試しのための立ち読みもできないしぃ。
18000ガバス
かぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
アタシのお小遣い、2万ガバスなのよねぇ〜、トホホ。
         お腹の出たハムレットの悩み????
10/31  エガミ 落とし穴がありました。
今日、飛鳥山へ行った帰りに遠回りをして、旧外語大の横を通った時です。
以前も通っていて気がつかなかったのですね。平成2年3月作製、北区教育委員会の下瀬坂案内板があり、なんと旧外語大のグランドは昔池で、谷田川の水源であったと書かれていました。染井霊園の長池の案内図にも、谷田川の水源とはっきり書かれています。
複数の水源、流れがどこでひとつになったのでしょうか。
ちなみに、下瀬坂の下瀬は明治時代に陸軍下瀬火薬庫があったそうで、名前の由来になっています。
11/1  クリキン
エガミさま〜  旧外語大敷地にも池が!!!じぇんじぇん知りませんでした。
外語大と西ヶ原小学校の間の道は「あやしい」と思っていましたが。
航空写真を見ますと、外語大と武蔵野女子の間の道に川らしき影が写っておりますが。 さて、真相は???

水源の定義はいろいろあるかと思います。
例えば 標高とか距離とか川幅とか 。(やっぱ、川幅かなぁ?)
豊島区は御薬園、北区は外語大。それぞれの主張(?)があっても良いかと。
谷田川には 合流 が沢山あります。
それをたどると確実に板橋。さらに練馬にさかのぼれるかとも思います。
嗚呼、悩み(楽しみ?)のタネは尽きない。

火薬庫ですが、たしかに旧い地図には記載がありますね。
下瀬なる名称はドコから来たのでしょうね。
アタシの記憶ですと ○瀬火薬 (○の中が思い出せない)なる火薬が明治時代、○瀬さんにより発明されております。
それは当時としては画期的な爆発力でありまして、それは日本海海戦において使用され、日本の勝利の1つの貢献となった・・・と記憶しております。
11/1  タータン
下瀬火薬はとても有名なもののようで、検索エンジンで一発で出てきます。
それも大量に・・・。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」でも、当然、登場します。

下瀬雅充(しもせ・まさちか)1859年広島県生まれ  その後の経歴は省略しますが、1887年海軍兵器製造所に移り、1888年に下瀬火薬を開発した・・・とのこと。
化学の天才のようです。

下瀬という苗字はどうも広島県および山口県に集中しているように思います。
広島の場合は、備後(福山市方面)でなく、安芸(広島市)、山口の場合は、長門(山口・下関や萩)でなく周防(岩国から徳山)に分布している印象をもっています。
私は広島で6年、生活・仕事をしました。そのため、下瀬という苗字の知り合いがいて(彼は岩国市の隣=由宇に在住)、彼の話によると、その周辺部に親戚を含め、多くの下瀬姓が分布しているとのこと。



11/2  クリキン
下瀬火薬はとても有名なもののようで、検索エンジンで一発で出てきます。
それも大量に・・・。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」でも、当然、登場します。

  やっぱ下瀬さんでしたか。
  白瀬中尉は南極探検だしぃー広瀬中佐は旅順港だしぃー。
  下瀬さんだと思ったのよねぇー。
  すると火薬庫の名前にまで個人名が使われたほど有名なのね。
  日本では個人名が使われることは少ないのにね。
あとだしジャンケンが得意なクリタ拝
11/17 クリキン
・・・なワケでありまして、これから数日間は、あまた考えられる谷田川の水源の一つであり「定番」であるアソコをお送りします。
ここから霜降り橋交差点までの調査は困難を極めるかと思われますが、ま、長ーーーい目で・・・・。

水源の1つ、長池の説明板です。
染井墓地の長池跡くぼ地の堤の上にあります。桜の頃は、さぞや・・・と思われる風景ですよ。
次回からは、くぼ地の様子などをお送りします。

ところで、メジャーな水源である長池は埋め立て。
しかし、谷中周辺では暗渠があり、その中を水が流れているのは確認しています。
・・・ってことは、その水はどこから来ているの?
また眠れなくなっちゃう。
11/26  ヌマサン
栗田様に取材をしていただいて、駒込7丁目で生まれ育ったものとして、お恥ずかしい限りです。
航空写真での川筋の推論。
1 墓地を過ぎて右折しております。
2 商店街の南側のとおりを東へ流れ、
3 坂上ストア(スパータジマ?)のところに出て、
4 染井銀座商店街を東へ
5 霜降り銀座商店街の入り口で改正道路?へ

私の漠然と考えていた経路は、
1 墓地を過ぎて通路らしきものがあり直進(添付写真参照)
2 そのまま北上して染井銀座商店街へ
 ※区境と一致しないが、区境の通りから一皮裏の宅地裏に排水路らしきものがあ 
  り、ふた皮目の宅地は、そこへ排水をしていた。
3 染井銀座商店街を霜降り銀座商店街入り口まで
 ※以前報告しましたが、商店街のタイル舗装が1間(1.8m)ぐらいの幅をもって切り込み
  のラインが入っている)
 ※坂上スーパーのところへ出るまで左折の右折が不自然。
4 以降は同じ
11/27 ヌマサン
パソコンでのグラフィカルな表現に慣れていないので、「右曲がって左へ・・・」とヨウリョウの悪い道案内のようになってしまいました。
そこで悪戦苦闘しまして別添ののようなものをつくりましたのでご覧下さい。

ただ、1946年(昭和26年)米軍撮影の航空写真を見ますと栗田説を裏付けるがごとく黒い筋が入っております。
「うむ・・・」とうなってしまいます。
また、全然ガクジュツ的でないのですが、染井商店街が出した「西ヶ原・染井邊絵図」
http://www.takitan.com/street/map/mapasami.htm
には、確かに栗田説のルートに近いものも記載されています。
今後とも引き続き捜索を続けますので、ご教示の程をよろしくお願いいたします。
11/27 クリキン
なるほど、そーゆールートも大いに考えられます。
私の説(?)は、思いつき程度のコトですので、これからヌマサン説に基づきアレコレ探索してみますね。
そうそう、外語大の水源。
西ヶ原小学校と外語大の間にある道。
ご指摘の通り、ワタシも「この感じは川だなぁ〜」と現地に立って思いました。
今後ともいろいろお教えくださいまし。

  妙な角度の三叉路、妙なカーブの道を見ると  本能的に「川か?」と思ってしまうクリ拝
11/28  エガミシ
滝野川図書館に明治44年製逓信省作成地図が北区地域コーナー付近のところに実物(そう思います)がパネルにして展示されています。
それによりますと、当時の川(小川)とドブ板のありそうな下水路が水色で示されています。
一度ご覧ください。残念ですが、館内なのでデジカメで撮っていません。それから、隣の豊島区が抜けており、肝心な長池、旧外語大グランド辺りが不明です。
12/1 クリキン 豊島区の主張する(?)水源の様子です。
北区側(?)の外語大跡の水源は、位置が特定できてません。おいおい見つけていきますね。

長池堤にある「遺跡」です。  いったい何に使われていたのでせうか。

なにやら古い石垣が見えますね。当時のモノのでせうか。遺跡と呼べるかしらん。

さて、やっとこ谷田川(谷戸川)のスタートです。しかし、次回で一度終わってしまいますのね。だって、その先が判らないんだもん。
12/3  クリキン
左側からの合流となりますね。ドコなのかしらん。

たんなる思いつきですが、外語大正門を右に見て左に武蔵野学院を見ながら立っているとしますね。
右側に続く外語大の壁にそって進みます。そして最初の角を右に。坂がありますね。
その坂に流れが在ったのかと。
そして流れは、外語大にそって右に曲ります。
で、西ヶ原小学校と外語大に挟まれた細い道を流れ、染井の墓地方向に・・・と考えてます。
ヌマサンシです
ちょっと油断をしている間に重要な物件の前を通り過ぎてしまったようです。
両側を墓地に挟まれたところに、左は、慈眼寺という芥川龍之介のあるお寺があったと思います。その入り口に「不染橋?」
という文字の入った橋の欄干(親柱)が残されています。これは、その前を川が流れていたという確定的な証拠ではないでしょうか?

また、写真のちょっと手前の地べたを見ていると地境杭が道路上に唐突にあります。これも川に関係しているのではと考えています。
以上ですが、分かっているならお前が報告しろと言われそうですが、おっしゃるとおりです。前回のIT講習会で端中にノートパソコンACアダプターを忘れてきてしまい。ノートパソコンの物件関係写真を取り出せない状態になっています。今週のIT講習会の水曜以降、週末にはご報告できるかと思います。
失礼しました。
12/7 クリキン  ヌマッシ
この写真の左側が、そのお寺さんでしょうか?ちなみに、芥川龍之介のお葬式は、私の近所の大龍寺(滝七小のお隣)で行ったそーです。
さてさて、外語大からの流れはどこで合流しているのかしら。
この交差点もアヤシイのですが、外語大のほうを見やりますと、どうもシックリこないので、まだ先か?と勝手に考えてます。
2枚目の「説明書き」ですが、個人的に「水原きよし」にして息子と面白がっておりましら、肝心な「モトネタ」を削除してしましました。トホホ。
ですので、本来は「おふざけなし画像」であったと思し召しくださいまし。
12/10 クリキン
先ほど仕事で不忍池を通過したときに撮影しました。忘れないうちにお送りします。

もしかしたら、谷田川から池への出口かも?信頼度20%くらいですけど。

江戸時代の地図では、現在の動物園あたりに注いでいます。
明治の地図になりますと、池を半周グルリと不忍通りにそって川(溝?)があります。
その川(溝)が、そのまま暗渠となったとしたらコレが谷田川からの出口である可能性があります。

どのみち、一度動物園に入り、あすこの池で水門らしきものの有無を確認する必要がありますね。

次回は、三橋(みはし)への出口の水門をお送りします。信頼度は98%。裏づけゼロでも自信マンマンです。
12/10 クリキン
ここから水は出て行き、三橋の下を流れ、蔵前への旅に出たのでは?
で、マンホールが見えます。開けてみたいなぁー。
こんなん出ましたー。(スイモンマップ)あくまでも推測でありまする。
12/22 クリキン
本日の不忍池であります。
あれれ? ならんだ水兵さん??カモメであらうか、ウミネコであらうか。カモメだとしたら名古屋出身かな?
だって、ミャーミャー鳴いていたしぃー。
2/2 クリキン 今日、お仕事ついでに行ってみました。
不忍池を出た川は流れ流れて蔵前に、と推測している栗田でありますが、現地を訪れますと・・・。
なんだか、結構いー線いってるんじゃない?!
谷田川1本で、こんな施設をまかなっているハズ無いですが下水道局は、色んな流れを谷田川を幹にして集めたのかも。
ともかく、究明の手をゆるめないぞ、の栗田でありました。
いずれ「見学」に行くつもりです。



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