2005/5/16更新
| 子供から大人まで 「ちょっと気になる場所」 というのは有るものです (北区の資料館行くのも大変だし) ど〜この誰だか知らないけれど、誰もがミインナ知ってる、、、、 知ってる人には当たり前、、でも、、誰が知っている人なのかはわかりません ぜひ、こちらのページで質問してください。 知っている方は教えてください |
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| Q&A | 気になる所探検隊の Q&A です 下線の部分をクリックするとその話題に飛びます! | |||||
| Q | 1、京浜東北線の左側はなぜ崖なんだろう? | |||||
| Q | 2、田端中の向かいにトンネルの角がある(ツノではなくカドです) あのトンネルの行き先はどこなのか? | |||||
| Q | 3、谷田川はどこにあるの どこからどこに流れていたのかを知りたいのですが | |||||
| Q | 4、滝野川って言う地名の由来は?「霜降り橋」「掘割」などなど | |||||
| Q | 5、霜降り橋の語源は? まさか霜降りの牛が沢山、、、 | |||||
| Q | 6、『近藤勇のお墓』のHP拝見しました。2〜3わからない事があるので教えて下さい | |||||
| Q | 7、滝野川の道標あちこち | |||||
| Q | 8、滝野川小学校に「二の宮金次郎」の像がありますが、他の小学校にもありますか? | |||||
| 1 | 京浜東北線の左側はなぜ崖なんだろう? | |||||
| A | 歴史探検隊 エガミ これは地形的理由です。以前は低いほうは海、崖側が洪積層でしっかりした土地で鉄道建設に相応しかった |
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| A | クリキン 山手線は、山の手を走るから山の手線なのでありまして、では、山の手とは どこのコトでしょう。 それは上野から田端まで、左側が山ですね。 ソコが山の手です。 具体的には、俗に「道灌山台地」とか「武蔵野台地」などと呼ばれる 台地の、上野から飛鳥山まで。 同時に、「本郷台地」などと呼ばれる東大あたりから巣鴨まで。 巣鴨を越えると、大塚の手前でストンと落ちますね。 あそこでお終いです。 俳優の キンキン が言ってました。 「僕が小学生の頃は、巣鴨に住んでいると言うと、山の手のおボッチャンと言われたもんです。」 つまり、田端中が乗っている所は、元祖山の手であるワケです。 その後、杉並とか目黒とか世田谷が山の手と呼ばれるようになりましたが あれは いわゆる不動産屋さん用語 でありまして、売り出しやすいからその様な名前をつけたに過ぎません。 ってことは、当時から 山の手 なる言葉には、一種ブランドイメージがあったのでせうね。 北区が下水普及率98%の時代、世田谷には開拓村なる所さえあって3〜4軒に1軒はポットントイレだったんだぜっ(爆笑)。 |
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| A | 歴探 エガミ ネットで調べていましたら、以下のサイトを見つけました。 地盤調査をするジオテックと言う会社のサイトです 。http://www.jiban.co.jp/ 各地の地形地盤情報が出ています。 北区全般でもこんな詳しく、分りやすい情報が出ています。 部分的に引用させていただき、参考資料として明記したいと思います。 http://www.jiban.co.jp/jibankaisetu/tokyo/kita/P13_kita.htm いかがでしょうか。 |
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| A | 7/1 シオノジ 京浜東北線は上野から赤羽まで左側が(高さ20mくらいの)崖です、崖沿いに走っていますよね 私、小学校の頃、荒川、墨田川によって扇状に平野が作られ、川によって削られなかったところが武蔵野台地だ、と習ったような気がするのですが、どうもそうではないようです 話は変わって、滝野川は、この落差によっていくつもの滝があった この、落差によるエネルギーを利用して、水車による動力、発電が可能であった 川を運河にして、墨田川までの海上交通を利用できた 頭のいい渋沢栄一さんはこれらを利用して。王子製紙、十条製紙、造幣局を作ったのではないかと思います (渋沢栄一記念館も紙の博物館も行ったことないので想像ですが) また話が飛ぶんですが(群馬によく出張中通ったのですが) 群馬県に渋川という町があるんですが、前橋市から渋川市に入るところは利根川による大きな河川敷になっていて、車で通ると、珍しい2つの水力発電所があるのがわかります。 一つは、川の流れをそのまま利用した発電所(落差が1.5mしかない)日本カーリット工場の敷地内 もう一つは、佐久発電所(長野県佐久市とは関係ない)というのですが、河原から30m位の小高いところに発電所があり、そのちょっと上、山頂に巨大な鉄のタンクから直ぐ下(30m位か)の発電所に水を落としているのです。 辺りにはダムはないのです。 両方とも、大したエネルギーを得られるハズがない、おかしな発電所と思ってたのですが、そうでもないようです。 渋川の人に聞いたのですが、浅野セメントの創設者が東京電力に電気を売るためにダムを作ったのだが、送電ロスが多くて、儲からないので、渋川に「日本カーリット」「関東電化」「電気化学」「大同製鋼」という、電気をやたら食う会社を作ったのだとか 滝野川の王子、十条製紙になにか似てません? |
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| A | 7/17 シオノジ 話が飛んだままの「佐久発電所」ですが、名前の由来が、奥さんの「作さん」を偲んで「佐久」と付けたのだそうです。 愛妻家です。 この発電所のことが書いてあるホームページを見つけましたので紹介します。 http://www.gijyutu.com/ooki/kenngaku98-99/saku/saku.htm http://www.denryoku.info/floor3/hydro/gallery/Gunma/Saku/Saku.html コレ、下のほうに写真が多い ついでに、洪積層、扇状台地もネットに出ていたので見てください。投稿しているうちに勉強になりました。 http://www.isone-sekkei.com/hosaka/roman/roman.htm http://www.nikken-kiso.co.jp/frame-topics.htm から 左フレームの沖積層 ・ 洪積層をクリック |
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| 2 | 田端中の向かいにトンネルの角がある(ツノではなくカドです) あのトンネルの行き先はどこなのか? | |||||
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| A | 6/28 エガミ (歴史探検隊) 田端中近くのトンネルの件(トマソン)ですが これは鉄道の歴史そのもので、トンネルがつくられ、次に鉄道拡張のため切り通しにしたり、その名残りですね。 さらに調べたものを書いておきます。 -------------------------------------------------------------------- 北区史 資料編 近代(明治期) P379 明治36年4月1日 山の手線田端・池袋間鉄道開業。 池袋駅の新設、駒込駅はまだ無かった。妙義駅と呼ばれた。 (この時トンネルが作られた) 北区史 通史編 近現代 P147 1909測図、1911発行の地図有り 富士見橋トンネル有り、このとき高崎線の記載はなし。 北区史 資料編 現代1 P473 昭和6年2月3日 滝土発第九三号 東京山手急行電鉄駒込・州崎間鉄道工事認可申請 巣鴨町ヨリ田端字西居村ニ入り字東台通ノ一角ヲ通過シ、、、 北東走シテ尾久町ニ去ル、、、、 ---------------------------------------------------------------------- 以下が4月21日に投稿した内容です。 トマソン、田端中近くのトンネルの件ですが、昭和7年の地図に富士見橋付近にトンネルとして書かれているのを 発見しました。と同時に、高崎線方面の路線も今のトンネル位置に完成していました。 1.明治時代後半、最初に池袋ー田端間に山の手線が作られた時にトンネルだった。 2.次に高崎線王子方面のトンネルが作られた。時期は不明、ご存知の方 教えてください。 3.昭和7年以降に富士見橋が切通しになったとき、トンネルが廃止になり、 今の位置になった。昔の線路は今よりかなり内側だったことが推定される。 さらに今の線路の位置は高崎線の上になってしまった。 4.推定、富士見橋エコー広場の下あたりに何か残っていそうです。 |
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| A | 6/29 クリキン すごいっ! とってもすごいっ! すごくすごいっ! 中学生時代からの疑問が分かりましたっ。 感謝感激であります。 |
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| 3 | 谷田川はどこにあるの 量が大きくなったんで「谷田川のページ」にリンクします | |||||
| 4 | 滝野川って言う地名は、何で滝野川 | |||||
| A | クリキン 滝野川の由来は知らないんですけど、つい最近まで王子に「滝みたいなの」 がありました。 写真などの資料も見かけるほどには最近までね。 ご幼少の私も見たよーな気がしないでもないよーな・・・。おそらく人工的なモノです。 何の為にあったのでしょう。・・・知らないんですなぁ、コレが。 もしかしたら川の分岐のために在ったのかも。 今でも分岐がありますね。 区役所の手前の橋の下あたりです。 片方は親水公園へ。 片方は暗渠へ。 暗渠の先は? 王子駅の隣に サンレック がありますね。 あそこのテニスコート脇に川があります。 あれがソーではないかと。 隅田川に注いでいると推測してます。 日暮里駅から谷中銀座に降りる階段を 「夕焼けダンダン」 といいますね。 くだんの滝も ドンドン とか ドン と言われていたみたいです。 おそらく 音 からついたアダナでしょうね。 |
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| 5 | 霜降り橋の語源は? まさか霜降りの牛が沢山、、、 | |||||
| 6 | ブル-ム-ンさんから 『近藤勇のお墓』のHP拝見しました。2〜3わからない事があるので教えて下さい。 街道の事ですが、江戸時代の五街道は東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道ですね。 ☆ 中仙道と中山道(木曾街道)は同じですよね。 いつごろ 人偏が取れて呼び方が変わったのでしょうか? ☆ 近藤勇のお墓で、石柱の墓碑と並ぶ自然石の墓(寿徳寺境外墓地)と印刷物(写真入り)でみて、捜したのですが見つかりませんでした。 有りましたか? ☆ 墓地から十数分の所にある、寿徳寺が近藤勇の菩提寺だそうです。 |
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| A | 歴探 エガミ 中山道は江戸を起点とする五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)の一つで、東海道とともに江戸から京都を結ぶ重要な街道であった。 この街道の道程は、江戸日本橋から武蔵国(埼玉県)上野国(群馬県)信濃国(長野県)美濃国(岐阜県)を通り近江国(滋賀県)草津で東海道と合し、京都に至る69次、約132里であった。 また信濃国木曽を通るため木曽街道ともよばれた。 名称の由来は、日本国土の中間の山道ということで中仙道とも記されたが1716年、徳川幕府は中仙道を中山道と名称を統一した。 http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/info0001.html |
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