東京、城北地区のマップです  この地図はカシミール3Dを基に作っています。 道路、名所は国土地理院20万分の一に上書きしたものです
 上の一枚は東京全体 右寄りの黒の罫線がこのマップです (A3縦の大きさがあります)  下はそれの拡大し並べたものです やたら大きいサイズです

 上の数値と左側の数値は、便宜上つけた値で 緯度経度とは関係ありません、後々、場所の説明を付けるときのためです。 +何mと書かれているのは標高です
★ 神社が高い崖っぷちにあるのがわかります ( お寺は、近代下町から引っ越してきたものが多く、地形との関連が少ないため網羅するのをあきらめました)
      古い街道は尾根伝いに、新しい道路は暗渠の上を走っているのがわかります
          推測するに、西方から来た部族が砦を作るのに、守りやすく、海川に近くて漁がしやすいためかと思われます
             北区に限ると、熊野、王子神社、紀州神社、飛鳥山(阿須賀(あすか)明神)など、紀州方面からやってきた人が多い
☆ 「堀割28m」K-15
(上の数値ー左の数値、28mは標高)
ここで千川上水は王子方面、六義園方面に分かれている。 千川上水が尾根伝いに勾配を利用しているのがわかります。
 全てが勾配沿いにというわけではないでしょうから、水道橋、水車などもあったようです。
☆、「志村の坂」B−3 国道 17号では直登な坂だが、旧中山道では大八車とか籠もあったのでしょう、迂回して勾配を楽にしています
☆、「板橋の坂」F-10 巣鴨から板橋までは、旧中山道と国道17号が並行して走っています、街道として栄えていたので、工事ができなかったためです
 板橋は日本橋から2里25町33間あったという道標が橋にかかっていました、石神井川を越える橋があったところです。
昔は、川まで坂を下りていって簡単な板で作った橋(だから板橋か)を渡ったものと思われます (地名は仲宿と板橋が混ざっている。 仲宿は中山道69次の1次目)
 (推測ですが、石神井川が荒れると、橋はそのつど流されていたのではないか?と) 昭和の頃には、川に堀をつけ立派な橋がかかりました。仲宿商店街という立派な 坂道の商店街があります。
高低差地図で見ると、丘の上(中山道は尾根伝いにあるため)から、川まで下っていくのがわかります(京都から見ると上り坂の商店街です)
☆、「江戸六地蔵」 N-18 真性寺は江戸六地蔵のひとつで、江戸への出入り口です。300年以上前の関八州の地図にも出ています。
 埼玉方面から、農作物を運んできたわけで、帰りに巣鴨界隈で農機具、滝野川堀割り界隈で種やタワシを買って帰ったそうです
こぼれ話

因みに、深谷の人の話 「爺さんが夜明け前に軍用馬を二頭引っ張って家を出ると、夜明けに(次の日ですよ)志村坂下に着いた。 巣鴨駅で貨車に載って、千葉、中山の陸軍駐屯地までは馬を運んだ。  軍用馬なので百姓は乗れず引っ張って歩いてきたそうです(信じられます?) 」
因みにその2、水元(金町)から大八車に野菜を積み夜明け前に家を出る、動坂(S-19)が登りきれなくて、女房が一緒に来て、動坂の坂を上がりきると彼女は帰る。おれは巣鴨の市場に荷物を下ろすわけさ。まだ5〜60年前の話です 
因みにその3、 堀割K-15近くに、高木屋という焼き鳥屋がある。牛乳の焼酎割りが有名で古びていて(白黒にすれば)小津安二郎の世界だ。 この店は、池袋から堀割までの坂が上れない大八車を押す「押し屋サン」たちの御用達の店だったそうだ。 何回か押して、お金がたまるとここで焼きトンに焼酎いっぱいのコースだった。  谷幡川のような川でもコレだけの、なだらかだけど大きな勾配を作るのだから。 川はすごいね

石神井川L-12
金剛寺、正受寺
石神井川(音無川)は、飛鳥山から荒川に向かっているが、高低差地図を見ると、その昔(縄文時代とも鎌倉時代とも言われている)不忍池方面(谷田川通り)から三橋を抜けて隅田川につながっていたのがわかります。 
浮世絵を見るとわかるのですが、正受寺のあたりで陥没して流れを変えるのです。(推測ですが飛鳥山付近の土手は後から盛ったものではないかと)
金剛寺(源頼朝が布陣した)、正受院(赤ちゃん寺)は古く浮世絵に残っている