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歴史・博物館のコーナ


滝探ウェブサイトの歴史・博物館のコーナーにようこそ。
滝野川のことを出来るだけ知って、物知り博士になろう。
北区滝野川地区のいろいろな歴史・遺跡の情報が満載です。
下の言葉をクリックして下さい。


ゲーテ博物館 谷田川の話 正受院(赤ちゃん寺) 金剛寺(紅葉寺)
北区西ヶ原 源泉、豊島区駒込
谷田川通り
北区西ヶ原、中里、田端
北区滝野川2-49-5 北区滝野川3-88-17
近藤勇のお墓 鎌倉橋 1 2
北区滝野川7丁目
JR板橋駅近く
北区滝野川7丁目
明治通り


滝野川の地理的概要

滝野川は上野の山から飛鳥山、十条台に向かってつながる台地にあり、
東に下れば現在JR京浜東北線が通っている河岸段丘と呼ばれる高台、
さらに下ると昔浅い海(近代では古隅田川)だった所で、
縄文遺跡が沢山見つかっています。

台地を西に向かって下れば上野忍ノ池に注いでいた谷田川(現在は谷田川通り)
になっていて、川は暗渠(あんきょ)になっています。
少し登れば文京区、豊島区を経て北区につながる本郷台地
(旧岩淵街道、今は本郷通りが通っています)からなっています。
これらの台地
上には弥生時代、奈良時代、平安時代の
遺跡も発掘されています。
滝野川地区の一番北側には石神井川(音無川)が流れています。



知っているかな滝野川の地名の由来
次のように考えられています。

時代 云われ
645年
646年

平安時代
はじめ



鎌倉時代

明治時代
はじめまで

昭和22年
(大化の改新)
武蔵国豊島郡の地名が万葉時代の古文書にみられる

豪族豊島氏が平塚城(今の上中里の平塚神社)を中心にこの地域を支配していた
その豊島氏の家来(庶流)に滝野川氏がいた
その滝野川氏は今の紅葉寺(金剛寺)近くに居城を構えていた
滝が多く険しかった石神井川沿いの場所にならって滝野川と地名が付いたらしい。

平家物語に源頼朝が進軍した板橋、上滝野川、隅田(隅田川)の地名がみられる

武蔵国豊島郡滝の川村として残っていた


地名変更


紅葉寺前の通り


紅葉寺・金剛寺(平成15年4月29日撮影)
もう少し詳しいことが知りたい人はここをクリックして下さい。


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探検隊より直ちに連絡差し上げます。隊長より